2020年04月13日
1990年3月3日の思い出
何か書こう・・・・・。
ってことで、1990年3月3日、ポールマッカートニー初来日、東京ドームライブの思い出。

1990年、皆さんはどこで何をしていましたか?
ウインクが『悲しい熱帯魚』を歌っていた時代。
Jリーグがスタートする、3年前。
いかすバンド天国が絶好調だったころ。
世はまさにバンドブーム。
全国にも、この町にも、バンドをやっている人たちがたくさん存在していた時代です。
俺は27歳・・・・まるで、夢のような年齢だ・・・・・。
電話予約で、なんとか手に入れたチケットを内ポケットに入れ、3月3日早朝、車のエンジンキーを回す。
当時乗ってた車は、ホンダシティー(ボディーカラーはブルー)。
中古で50万の代物
ラジオカセット付き、なぜかサンルーフもついていた。
ホンダシティーを走らせ、当時は、安房トンネルがなかったから、中津川回り。
遠い遠い東京へ・・・。
各町に流れるFM放送をキャッチしながら、東へ東へ。
長野でも、山梨でも、決まってDJはこう言う。『・・・みなさん、いよいよ、ポールマッカートニー公演初日ですね・・・・。それでは、ポールのナンバーで、バンドオンザラン‥‥』
って具合に。
ワクワク感が増してゆく・・・。
期待が高まる・・・・。
『・・・・やっとで、ポールのライブが見られるんだ‥‥』
やっとで・・・・・。
というのも、1980年、ポールマッカートニーは、大麻所持のため、成田空港で逮捕、日本公演はすべてキャンセル、俺の名古屋公演チケットはパー・・・・。
高校生だった俺は、ふさぎ込み、天を仰ぎ、『ばかやろポール』と、独り言を言い・・・。
と、そんな苦い経験がある。
だから、すごく想いは深く、「やっとで・・・」って気持ちがこみ上げてくる。
ホテルは新宿の安いビジネスホテル。
車を駐車し、電車で東京ドームの駅に着くと、すごい人混み。
もう、少年少女ではない、大人の人たちの波。
ところどころでは、係員たちの指示『・・・押さないでくださーい!・・・』
ダフ屋のパンチパーマたちのだみ声、『・・・チケットあまってたら買うよ…』って。
入場して、東京ドームの大きさに驚く・・・。
完成したばかりの、日本初のドームってことで、『・・・なんじゃ?こりゃ?・・・』という、大きさ・・・・。
開演少し前から流れる、ビートルズの映像。
それが、終わると『NOW』の文字・・・・。
ポール登場。
自然と涙が・・・・・・。
ライブ自体は、ユーチューブで見られます。
翌朝、近くのコンビニでスポーツ新聞を購入。
ミスタードーナッツでコーヒーを飲みながら、読みました・・・。
これです。

翌日は東京見物することもなく、中央道で帰るわけだけど、帰り道いろんなこと考えたな・・・・。
ずっとビートルズの面影を追ってきて、幻だったのが現実になり、うれしかったんだけど切ないっていうか・・・。
俺そのころ、結婚もして、最初の子供が、奥さんの腹にいて・・・つまりはもう子供じゃないっていうか、ちゃんとした大人にならなきゃいけないっていうか、もうバンドも、今までのようには、できないんじゃないか?っていうか・・・。
それまでやってた仕事(自分ちの工場)もやめて、新しい仕事を探していた時期ってこともあり・・・。
ちょっとした人生の分岐点のような気がして・・・・。
青春の終演が、このライブだったんじゃないか?というか・・・。
そんなことを考えながら、センチな気持ちになったことを覚えています。
決してそんなことはなく、30年たった今でも、『・・・こおゆうバンドを作ろう…』とか『・・・・こんなコンセプトでステージやろう・・・』とか、『・・・ガツガツ攻めようぜ!・・・』とか、やってるところを見ると、こりねーななんて、思います。
コロナのニュース見ると、気が滅入るし、怖いし・・・・しかし、希望はあるって考えて、耐えたいね・・・・。
今は、いろんなことを思い出してみようと思います。
成原。
ってことで、1990年3月3日、ポールマッカートニー初来日、東京ドームライブの思い出。
1990年、皆さんはどこで何をしていましたか?
ウインクが『悲しい熱帯魚』を歌っていた時代。
Jリーグがスタートする、3年前。
いかすバンド天国が絶好調だったころ。
世はまさにバンドブーム。
全国にも、この町にも、バンドをやっている人たちがたくさん存在していた時代です。
俺は27歳・・・・まるで、夢のような年齢だ・・・・・。
電話予約で、なんとか手に入れたチケットを内ポケットに入れ、3月3日早朝、車のエンジンキーを回す。
当時乗ってた車は、ホンダシティー(ボディーカラーはブルー)。
中古で50万の代物
ラジオカセット付き、なぜかサンルーフもついていた。
ホンダシティーを走らせ、当時は、安房トンネルがなかったから、中津川回り。
遠い遠い東京へ・・・。
各町に流れるFM放送をキャッチしながら、東へ東へ。
長野でも、山梨でも、決まってDJはこう言う。『・・・みなさん、いよいよ、ポールマッカートニー公演初日ですね・・・・。それでは、ポールのナンバーで、バンドオンザラン‥‥』
って具合に。
ワクワク感が増してゆく・・・。
期待が高まる・・・・。
『・・・・やっとで、ポールのライブが見られるんだ‥‥』
やっとで・・・・・。
というのも、1980年、ポールマッカートニーは、大麻所持のため、成田空港で逮捕、日本公演はすべてキャンセル、俺の名古屋公演チケットはパー・・・・。
高校生だった俺は、ふさぎ込み、天を仰ぎ、『ばかやろポール』と、独り言を言い・・・。
と、そんな苦い経験がある。
だから、すごく想いは深く、「やっとで・・・」って気持ちがこみ上げてくる。
ホテルは新宿の安いビジネスホテル。
車を駐車し、電車で東京ドームの駅に着くと、すごい人混み。
もう、少年少女ではない、大人の人たちの波。
ところどころでは、係員たちの指示『・・・押さないでくださーい!・・・』
ダフ屋のパンチパーマたちのだみ声、『・・・チケットあまってたら買うよ…』って。
入場して、東京ドームの大きさに驚く・・・。
完成したばかりの、日本初のドームってことで、『・・・なんじゃ?こりゃ?・・・』という、大きさ・・・・。
開演少し前から流れる、ビートルズの映像。
それが、終わると『NOW』の文字・・・・。
ポール登場。
自然と涙が・・・・・・。
ライブ自体は、ユーチューブで見られます。
翌朝、近くのコンビニでスポーツ新聞を購入。
ミスタードーナッツでコーヒーを飲みながら、読みました・・・。
これです。

翌日は東京見物することもなく、中央道で帰るわけだけど、帰り道いろんなこと考えたな・・・・。
ずっとビートルズの面影を追ってきて、幻だったのが現実になり、うれしかったんだけど切ないっていうか・・・。
俺そのころ、結婚もして、最初の子供が、奥さんの腹にいて・・・つまりはもう子供じゃないっていうか、ちゃんとした大人にならなきゃいけないっていうか、もうバンドも、今までのようには、できないんじゃないか?っていうか・・・。
それまでやってた仕事(自分ちの工場)もやめて、新しい仕事を探していた時期ってこともあり・・・。
ちょっとした人生の分岐点のような気がして・・・・。
青春の終演が、このライブだったんじゃないか?というか・・・。
そんなことを考えながら、センチな気持ちになったことを覚えています。
決してそんなことはなく、30年たった今でも、『・・・こおゆうバンドを作ろう…』とか『・・・・こんなコンセプトでステージやろう・・・』とか、『・・・ガツガツ攻めようぜ!・・・』とか、やってるところを見ると、こりねーななんて、思います。
コロナのニュース見ると、気が滅入るし、怖いし・・・・しかし、希望はあるって考えて、耐えたいね・・・・。
今は、いろんなことを思い出してみようと思います。
成原。
Posted by LOSSTA at 17:57│Comments(0)
│成原