STREET SONGS

LOSSTA

2019年01月20日 21:18



1990年、バブル絶頂期の新宿。
スタジオアルタ前では、着飾った男女で溢れ、金とSEXの匂いで充満していた。
眠らない街東京、尽きることのない欲望、地位と権力に依存する人々・・・。
ギラギラしていた時代だ。
フェラーリ、メルセデス、ポルシェ、ジャガー・・・・高級車の交通渋滞。
クラクション、『ばかやろ!』という怒鳴り声、サイドシートでペティキュアを塗りなおす女・・・。
アルマーニ、ルイビトン、プラダ、フェラガモ・・・。
あぶく銭を手にした人にだけに訪れる成功。
あぶく銭を手にできなかった人は・・・・・虫けらのごとく、地べた這いずり回る。
そんな時代のそんな街。
1990年の新宿。



横文字バブルフレーズが飛び交う、新宿アルタ前から西側に向かう通路で、彼は歌っていた。
当たり前のように、多くの人たちは、彼の歌に、耳を傾けることはなかった。
彼は、行きかう人の波に向かって、歌っていた。
たぶん20代前半だろう。
長髪で、『LOVE』と書かれたTシャツに破れたジーンズを履いていた。
前には、ギターケースが広げられて、中には、10円や50円が数枚投げ込まれていた。
彼が、歌い終わっても拍手などない。
誰も彼の前で立ち止まろうとはしない。
人の波は、彼の存在など、気にもとめない。
東京のどこにでもある風景。
金にならない才能には、見向きもしない群衆。




そんな彼の歌の前で、足を止めたのは、どうしてなんだろうか?
興味、好奇心、俺も音楽をやっているという同業者的意識?
いやいや、そんな難しいことじゃなくて・・・。
俺も若かったし、知らない街だし、特に予定もないし・・・と、そんな感情だったろう。



彼は、何曲かオリジナルを歌ったと思う。
覚えているタイトルは、『灰色の街に、蛍の光を』、だと、思ったけど・・・。
それほど胸に突き刺さる歌でもなければ、別段、耳をふさぎたくなるような歌でもない。
普通だ。
若いお兄ちゃんが、自己陶酔しながら、思いを吐き出している・・・・と、そんな感じかな?
俺は、彼の前で足を止め、最後までそのライブに付き合った。



残念ながら・・・後の曲は・・・・覚えてないな・・・・・。
1990年の話だし、それから、ずいぶんと時が流れたわけだし・・・。






彼は、最後の曲を歌い終えると、俺に向かって『・・・聞いてくれてありがとうございます・・』と、お礼を言った。
俺は、一人で拍手した。
そして、100円を二枚、ギターケースに入れた。
『・・・いつも、ここで、歌っているんですか?‥』と、声をかけてみた。
『・・・はい、でも、今夜で最後なんです、僕、卒業が近いんで…』
『大学?』
『はい、就職もあるし、もうできないと思うから・・』
『また、仕事に慣れたら、こうやって歌えばいいんじゃないの?・・』
『会社は甘くないと思うし、それに・・・僕、新宿で歌っていたっていう、思い出だけでいいですから・・・』
『なんか、もったいないな・・・』
『僕みたいな歌うたいが、この街には、腐るほどいますから・・・』
そんな会話の後、彼はギターケースを抱え、新宿駅に消えていった。
ギターを背に、人込みの中に消えていった・・・。





と、それだけの話なんだけど・・・・。





ふと、『歌うたいの彼』のことを思い出すことがある。
たぶん、現在は、40代半ばになっているはずだし、家族を持っているかもしれない。
その後、路上で歌うことはなかったのだろうか?
『新宿で歌っていた思い出』だけで、その後、音楽にケリをつけることができたのだろうか?
子供に、『お父さんは昔、新宿で路上ライブやっていたんだよ・・・』なんて、自慢しているのだろうか?


と、そんなことを考える。



いろんな人が音楽に出会い、何らかの理由で、足を洗うわけだけど、やれる環境にある人、やりたい人、できる人は、ずっとやってほしいな。
簡単なことだと思う。
頭の中を空っぽにして、アカペラで歌えばいいのだからさ・・・。




今夜も、世界中の街の片隅で、いろんな歌や、いろんな楽器が鳴り響いてる。
これから先も、ずっと、続いてゆくのだろうね・・・・。










成原。









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