悲しい夜は越えられるのか?
そりゃ、いろいろある。
生きていれば、いろいろあるのだろうさ。
打ちのめされた夜は、一回や二回ではないはずだ。
ある人は、暗がりで膝を抱え泣き、ある人は、酒場の片隅でバーボン片手に酔いつぶれる。
そしてまた、ある人は、繋がらない電話を待ちつづけ、それにかすかな希望を見出そうとする。
しかし、電話が繋がることはない・・・。
孤独とやりきれなさが充満する部屋。
天使が微笑むことはない・・・。
やるべきことはあるのに、体が動こうとしない。
呼吸するにも、意識しないと、うまく喉が開かない。
ぼーっとしてる。
TVはついているものの、内容はいっさい頭に入らない。
食欲は無く、ビールとタバコしか、体は受け付けない。
微かな希望もみつからないし、絶望感で充満する部屋。
やはり・・・・天使が微笑むことはない・・・・。
そんな夜を、いろんな人達が、いや、みんなだね・・・、それなりに経験してきたんじゃないかな?
理由はいろいろあるだろう。
事業主の事業の失敗。
信頼している人の、金の持ち逃げ的、裏切り。
壮絶ないじめによる、追いつめられた精神tと肉体。
泥沼の家庭生活における、離婚に向かう日々。
愛する子供の死。
生きてはいるけど、体の機能が停止して、もう元には戻らない、と、宣告された日・・・。
耐えられるのだろうか?
自分がその立場だったら、果たして、耐えられるのだろうか?
前向きに、生きてゆこう、と、思えるのだろうか?
「死んでしまったほうがよい」と、考えないだろうか?
最後のエネルギーを振り絞って、自殺という行動に向かう人達も、数え切れないくらい、いたと思う。
山の中をさまよったり、ロープを天井につるしたり、ビルの屋上に足をかけたり・・・・。
実際にそうなったとき、大いなる恐怖に遭遇する。
怖い・・・。
痛い・・・・。
苦しい・・・・。
そして、大いなる自問自答の末・・・・「だめだ、できない・・」と、崩れ落ち、泣き叫ぶのだろうか?
高校の生活指導の先生だったらこう言うだろう
「たった一つの命を大切にしろ!」と。
・・・・・わかってるよ、そんなこと・・・・。
宗教家はこう言うだろう。
「・・・自ら命を絶つということは、この世の修行を逃げだすことになる・・・・」
・・・・逃げ出したい世の中なんだから、しかたねえだろうが・・・。
口うるさい親は、こう言うだろう。
「・・・そんな子に育てた覚えはない!」
・・・・産んでくれと頼んだ覚えもねえよ・・・・。
けっきょく、誰かの説教とか、正統的説明も、崩れ落ちた人達には、意味が無いような気がする。
俺が言いたいのは、「・・・この夜だけ、越えよう・・・」
とりあえず、この夜だけ、やり過ごそう。
朝日を待とう。
ひよっとして・・・可能性はわずかだが・・・風向きが変わるかもしれない・・・。
可能性はわずかだけど・・・・。
「現金持ち逃げの犯人を逮捕しました」と、警察から連絡があるかもしれない。
離婚届を前にして、「ごめんなさい」と、相手が謝ってくれるかもしれない。
繋がりたかった相手との電話が、繋がるかもしれない。
そう・・・・かもしれない・・・・。
明日かもしれない・・・・。
かもしれない。
だから、どん底で、苦しみに耐えようよ。
俺も君も。
明日になれば、ハッピー・・・なんてことは言えないけど、明日になれば、少しはマシになるかもしれない。
時計を眺めながら、時が過ぎるのを、待とう。
地べた、這いずり回り、屈辱にまみれた、悲しい夜だ。
その夜だけ・・・・耐え忍ぼう・・・。
なかなか、すべてがうまくいく!なんてことは、まずないからさ。
コーナに詰まって、連打を浴びるボクサーのように、全く勝ち目のない闘いでも、「ダウンだけはしねえぜ」みたいな、意地、ツッパリ、プライド、負けん気・・・そんなものを、持てればな?なんて、思います。
悲しい夜を、超えて行こうではありませんか・・・。
成原。
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